Craftsman Interview #1

注染が好きだから、
注染でどこまでできるかがやりたいんです

あひろ屋 野口 由

いたずら描きが人生を変えた?!

ハーブ屋を7年続けた後、一旦閉めることになり、次は派遣に登録したんです。一度OLをやってみたかったんで(笑)。
生まれて初めて大きな会社で働くという生活が26歳から始まりました。
今まで孤独な戦いを続けてきたので「同僚や上司がいるってこんなにいいものなのかぁ」「会社ってこんなふうに回ってるんだ!」と毎日新鮮で楽しくて。
でも二年目くらいから「このまま会社勤めでいいのか」という不安を抱くようになったんです。派遣だと歳とった時にいつまで仕事を続けていられるかわからない。
自分のペースで働けて、おばあさんになっても自分の仕事があるといいなぁ。それには自分で仕事を作るしかない。
「いつか自営業に戻ろう」という気持ちがフツフツと芽生えてきたんです。
ハーブ屋の時も自分の学業に合わせて自分で仕事を作ってできたのだからできないことはないという自信がありました。でも具体的に何をするか、アイデアは浮かんでいませんでした。
ある時、ハーブ屋時代にお年賀にふきんを作ったことを思い出したんです。自分でデザインしたものを染めてもらったら、みんなが喜んでくれて「これが手ぬぐいならもっといいかも」と手応えを感じたことがあって。手ぬぐいならハーブより長く保管できて、家の中でもかさばらない。
「これはひょっとして、手ぬぐいなんじゃないの?」
…とは思ったものの、この時点でもまだ手ぬぐい屋を思い立つまでには至りませんでした。

─────では、手ぬぐい屋になる決定的なきっかけは?

ある時、鉄瓶をいたずら描きしていたら「あっ、これが手ぬぐいになったらかわいいんじゃないか」って思ったんです。
その頃、鉄瓶が欲しくてカタログをいっぱい持っていたので、なんとなーく描いていて「これは、もしかして…」と。
こわいですよね、自分の人生がいたずら描きで変わるなんて(笑)。
鉄瓶が手ぬぐいになったらいいなぁと思った途端、一気に「始めよう!」と決心しちゃって、友禅の仕事の時の先輩に「手ぬぐい屋をやりたいので、染めてください」と連絡して、すぐに版下を描きました。
版下を持って行った時には「うわぁー」とか「こんな手ぬぐい見たことない」とか「自分でいいと思っても売れるとは限らないんだよ」とかすごく言われて。
「そうですよね。ないですよね。…でもこれは売れますよ!!」と答えたんです。

─────それだけの自信があったんですね。

あひろ屋インタビュー
あひろ屋手ぬぐいの第一号となった「鉄瓶」
自信というか、こんな手ぬぐい、今までになかったからこそ世に出したい! そういう思いに満ち満ちていました。
販路もないのにお願いしちゃって、「あ、どこで売ればいいんだろう? じゃ、ネットショップだ」って(笑)。
手ぬぐいが出来上がって開業届を出しに行ったのが2001年5月で、 ネットショップをオープンしたのがその年の7月でした。この2ヶ月間に、お世話になった人や友人に「手ぬぐい屋始めました」というご挨拶状を書いてひたすら配りました。
みんな「え〜〜〜っ、手ぬぐい屋さん???」って反応でしたね。
ホームページを見た友人からは
「見てみたけど、手ぬぐい一種類しかないよ。どういうことなの?」って(笑)
確かにネットショップに手ぬぐい一種類しかなかったら普通怪しみますよね。
「これから増えるんです」って答えて、その年のうちに「六花」と「南天」を出しました。

─────それは早い! オープンしてから結構すぐに反応があったんですか?

ないです。 挨拶状を書いて送ったので、友だちの友だちや親戚から注文が来る程度。
時々ポッと知らない人からの注文が来るとびっくりしつつ嬉しかったですね。
「六花」や「南天」もすぐに売れるとは思っていなかったけど、とにかく数を増やしていかないとだめだろうな、と思って作りました。
あひろ屋インタビュー
最初の取材となった『見返りにっぽん』
ただ、不思議な幸運もあって。高校の時に友禅のことで取材を受けたことがあり、その時のライターさんと付き合いが続いていたんですが、私が手ぬぐい屋の挨拶状を送った日に、なんと彼女は「和」についての本を作ることが社内で決まったのだそうです。
その本が出てからお客様が増えて、いろんなお店からも「卸してほしい」というお話をいただくようになりました。そこからじわじわと広がっていき、2004年に勤めていた会社をやめて、あひろ屋一本で独立しました。


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