和雑貨 翠 TOP > 和から始まる小さな旅 目次 > Vol.8
下町の植物園・東京都 荏原
 散歩をためらう五月雨も、草木にとってはの恵みの季節。きょうは薬用植物園で、せめて気分を晴らしたい。山の手線を南に出れば品川区。五反田と蒲田をぐるりとつなぐ東急池上線に目黒線、大井町線の駅ごとに、商店街がのびている。武蔵小山の駅から中原街道へ抜ける700mほどのアーケードは、都心でも指折りの規模だろう。

 買い物通りを一歩出れば、ひっそり静かな昼下がり。車道から細い路地が伸びる。窓の外にこまごま干された洗濯物、玄関先には植木鉢。
 商店街から500mばかり、星薬科大学は住宅地のなかに建つ。正門から入って左に薬用植物園がある。わが国の医薬品国産化の先駆け、星一(ほし・はじめ)氏の設立した星製薬(株)の施設をもとに、昭和16年の星薬学専門学校設立にあわせてつくられた歴史ある研究の場だ。入り口の外には、椰子の木に囲まれたいかにも学者らしい星一像が建つ。背後の本館は、飛鳥時代の宮中薬狩りを描いたおおきな壁画が内部を飾る。

 草木にはまったく疎いが植物園に行くのは好きだ。シロウトの目で見ると、国の内外を問わず、その良しあしは規模や設備、珍しい品種の有無よりも、熱意ある手入れによるところ大である。その点こちらは小さいながら、たいへんに気持ちよく、見ごたえ満点といってよい。

 3000平米ほどの黒い土に植えられた有用植物は650種余り。それぞれに用効、用途と成分を記した札があり、身近な草の意外な効用がわかる。ローズマリーにマンネンロウという立派な和名があるのもはじめて知った。まるい飛び石を敷いた通路わきには、青くて堅い実をつけたチャノキの垣根。セメントブロックをつかった花壇の仕切りも素朴だ。キカラスウリなどの蔓を、しっかり組まれた竹が支える。白い小花をつけたアワモリハッカはアゲハやアブでいっぱい。ヒトには知れぬ魅力があるらしい。奥の温室には、バオバブやアボガドなど、とおい国の草木が並び、水生植物の一画もある。鋏の音がひびき、向かいの荏原第一中から時折ワッと声がする。ヒノキの枝で烏の羽ばたき。悪さをするのか、ブドウ棚の下にはビニールの烏が揺れている。学生さんの出入りが多い。ルーペでじっと観察するひとや、炎天下、立ちっぱなしでスケッチをとる姿に頭が下がった。大いに活用されている様子だが、正門と園内で署名をすれば、学外者でも自由に入れる。花の季節にかかわらず、いろんな楽しみ方のできるのが、植物園のよいところ。ひとり歩きにぴったりだ。

 学校を出ると再び住宅地。東海道の出発点、品川区にはいまでも古い商家が残る。屋号を伝える米屋や酒屋、簾をつくる店もある。
旧中原街道を左にゆくと、青々と蔦のからまる2階建ての木造屋に氷の看板。カキ氷の波マークは夏によく見かけるが、「鈴木氷室」とちいさく書かれたこのお店、6畳ほどの駐車スペースに停めた軽トラックの荷台に残るわずかな日陰を台にして、立ったままの男のひとが、ゴム手袋の左手に持った氷をアイスピックで調子よく砕いている。脱衣籠ほどのプラスチックの入れものに、きれいに揃った氷がどんどん溜まる。「この氷? 呑み屋さんとか、お寿司屋さん、バーに売るの。うちは飲み物用のが専門。四角より、不ぞろいの方が見た目もいいでしょ。」いいのは形だけじゃない。冷凍室にどっかり収まる36貫(約135キロ)の四角い氷は、製氷会社で電気を通し、不純物を除いた水道水を、48時間じっくりと冷したものだ。蒸発しきれぬ成分が中央に白い筋となって残るほかは、すっきりと透きとおる。12時間で急冷する手もあるが、ゆっくり冷せばより堅くて旨い氷になる。カキ氷にも使われるのもこれ。ちいさなカケラを口に入れると、まっさらな冷たさだけが喉を潤した。カリカリと歯ごたえもいい。

「昔はね、自転車で売ってまわったんだよ。電気冷蔵庫が出る前は、36貫の塊が一日24個も出たねえ」昭和30年代には荏原に28軒あった氷店が、いまでは5軒に減った。「昔は家でもこうやって氷を割ったもんだけどね」一貫(約4キロ)の氷が、見る間にちいさく砕かれる。ちょっと見ると簡単そうだが、アイスピック一本で均等に割るのは熟練の技だろう。もたもたすると溶けてしまう。グラスに入る大きさに揃え、細かいカケラをできるだけ出さないのがポイントだ。機械なら早いが、クズが半分も出てしまう。遠藤軍治さんは昭和21年からの家業を継ぐ二代目。御兄弟は3人とも製氷関係にたずさわる。

 籠いっぱいに割られた氷は、手早く冷凍庫に移し、一日おいて白くしっかりと凍らせる。それを1キロずつ袋に詰めたものが「氷の王様」230円。水道水からこの「ぶっかき氷」(名前がいい)に到る手間を考えるといかにも安い。ちなみに一貫の氷塊は400円、ダイヤモンドアイスは720円。
籠に残ったカケラを遠藤さんはビニール袋に溜めている。ザクザクとかき回す音が涼しい。「これはね、うちでお茶を飲むのに使ってる。こういう細かいのが好きなひともいるんだけどね。ふつうほら、やかんでお湯を沸かすとふきこぼれるでしょ。でもこれを沸かしてもぜったい噴かないんだよね」
遠藤さんの氷でつくる水割りはさぞ旨かろう。氷ばかりは電車で持ち帰れないのが残念だ。思えば昔、毎日買った氷の方が、便利な製氷皿より上等だったのかもしれない。

 中原街道を越えれば戸越銀座商店街。池上線の戸越銀座駅をはさんで一直線にのびる通りは、夕暮れ時でにぎやかだ。間口のせまい洋品店には、それぞれの趣がある。ちょっと足をのばして大井町線の荏原町商店街でしめくくり。ほとんどが個人の商店だ。なかほどにある立派な瓦屋根は亀の湯。自家製の漬物を売る店もある。荒物屋の店先に、亀の子束子(タワシ)の黄いろい袋。大中小と揃って針金に吊るしてある。ちいさな買いものに気をよくすれば、洗い髪をちんまり結った銭湯がえりのおばあさんが、ネオンの通りを横切った。
◆植物園のメインストリート
◆アワモリハッカに群れるアゲハ
◆水生植物「タコノアシ」
◆この竹組みは日本ならでは
◆蔦のからまる鈴木氷室
◆鈴木氷室ニ代目 遠藤軍治さん
◆荒物屋は商品厳選

アクセス東急池上線 戸越銀座駅、東急目蒲線 武蔵小山駅、都営浅草線 戸越駅よりそれぞれ徒歩
東京都品川区荏原
星薬科大学 TEL03-3786-1011
鈴木氷室 TEL03-3781-2321


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