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明治時代の好きな人――作家でいえば幸田露伴、画家は横山大観、思想家だったら岡倉天心、そして建築家なら、文句なしに伊東忠太。
法隆寺の起源を求め、西洋崇拝の世相をよそにユーラシア横断留学、中国ではさっそく雲崗石窟を発見のお手柄、インドやトルコを踏破して、ギリシャのパルテノン神殿にわが法隆寺のルーツを認め、めでたく帰国の後、その豊かな造詣をもとに、東は築地本願寺に明治神宮、西には平安神宮や伝道院はじめ、全国に個性あふるる建築を残した。
優美というよりは珍奇、浄土真宗のお寺なのに、インド風の塔が妖しくそびえ、鳥とも龍とも魚ともつかぬケダモノが、屋根のてっぺんで反りかえっている不思議。
東京は芝にある日本建築学会に、2003年オープンした建築博物館の開館記念が、この伊東忠太展。
「拡張するアーカイブ」というタイトルにふさわしく、ご遺族から寄贈された膨大なメモや日記、書簡があつめられ、建築家ならずとも、忠太という好奇心旺盛な男における思考の源泉と行動力、その破天荒な表現方法をじっくりと楽しめる好企画だ。
まず目にはいるのが、忠太の建築でおなじみの珍獣がひしめく「怪奇図案集」。抜群にうまい彼のイラストは、筆やペンの線描きに水彩で丁寧に色づけされてたものが中心だ。幼少からの妄想癖が生んだ、カタツムリの殻をもつトカゲや、ムカデの脚と牙のあるヘビなど、愛嬌あるケモノたち。とんがった耳とギョロ目がとくに好きらしい。
つづいて、明治34年から十数度にわたるアジア調査や、ユーラシア横断、全国の古社寺探訪のフィールドノート、設計図案、本業の合い間に時事風俗を記した葉書絵などが、3台のスライドと、壁面いっぱいの複製と
で展示されている。ガラスケースには、書簡や日記「浮世の旅」、文人タッチの自画伝もある。
会場は広くはないが、自筆の資料をふんだんに見せる工夫がありがたい。現代のデジタル社会では考えられぬスケッチの技量と分量に度肝を抜かれる。なにしろ「全国の歴史的建造物を渉猟」すると言い放って臨んだ社寺の記録は、建物の配置から、鐘、水煙のデザイン、仏さまの手つきにまで及び、忠太の並ならぬ意欲と、この調査が古社寺保存におおきく貢献したことをよく示している。
ひと月ごとに装丁されたスケッチ入りの日記は、それぞれ厚さが4センチほどもある。メモに記された各国の地図や年表、単語表もすべて自筆。学校の成績表や日々の便通表(!)まであるのは、記録魔のあかしであろう。
とりわけ面白いのはフィールドノートで、建築意匠に止まらず、当時の日本人には知られなかったアジアの国々の風俗が、細かに記録されている。トルコからインド、中国と変遷の跡をみせる伽藍の文様とおなじくらい、人々の体格から鼻の角度、衣服や生活習慣のちがいも忠太の興味をそそったらしい。地図のすみっこに妙な女人が浮んでいたり、研究熱心なのに不謹慎だが、とにかく細かい、巧い、味がある。
大正3年から昭和25年まで、不要の絵葉書などの裏に描かれたはがき絵(3,717枚!)は、玄人はだしの風刺画で、国内外の情勢、社会、風俗への強い関心が、辛らつにして奇抜、時にお下劣な筆づかいで脈々と描かれる。
全国寺社めぐりの旅日記も、必見建物リストから毎日の寝起きまで、ひどい船酔いの日も欠かさず記す几帳面ぶり、地方の女性の髷の結い方まで描いたあげくに「ヘンなもの也」などとけなしている。
これだけたっぷり資料を見れば、本物が見たくなる。幸い東京には、現存する建物も多い。
まずはやっぱり築地本願寺(昭和9年)。東京の台所、築地市場から眺めると、ビルの合い間にインド風の伽藍が異彩を放つ。それでも、よき理解者でありパトロンであった大谷光瑞が建設途中から手を引き、忠太の構想はかなり削られたらしい。コンクリートの正面もじゅぶんエギソチックだが、カマボコ型の緑の屋根が見える斜めからの姿が好きだ。本堂正面の階段をはさむ手摺は、下に鎮座する羽つき狛犬(?)に向かっておおらかにうねる。きらびやかな内部にも、牛や鳥のいる階段があり、中庭には鳳凰ののっかった鐘がみえる。
大正9年の明治神宮は、自ら唱えた「新形式」を撤回し、古典的な社殿様式で作りあげた。明治天皇を祀る神社ゆえ、面白みはうすいが、なまめかしい屋根の曲線や、その先端から鉄砲のように突き出た鳥衾(とりぶすま)のいきおいに忠太を感じる。
湯島の聖堂も昭和9年の作。合格祈願の絵馬がならんだ孔子廟の屋根の両脇には、ヤツデのような尾をひろげた龍が、噴水のごときトサカを空に振りあげ、2匹ずつの豹が脇を固める。いまでも儒学の学び舎である建物には、角や羽のある珍獣が、かいの木、くすの木などたくさんの老木と調和しつつ睨みをきかす。
靖国神社の展示館となっている遊就館(昭和6年)は、塗り直されてのっぺりした造りだが、正面で牙をむく一対の鬼(?)の巨大な面と、屋根を支える手挟(たばさみ)の渦まきに満足。都内には、両国にある東京都慰霊堂や、赤坂の大倉集古館(2003年4月末まで修復中)、国立の一橋大学兼松講堂など、ほかにも訪ね甲斐ある忠太建築は多い。墓や彫像の台座を含めると、全国にその作品が残されているのはやはりうれしい。
もっとも、建築家としての彼の仕事は、必ずしも世に受け入れられたわけではない。あまりに独創的、脱日本的なアイデアは、特に寺院などでは檀家の理解を得られず却下されたらしい。建築会館に映し出された、不実現の設計案には、珍獣つきの柱や屋根、石塔などが満載で、アジア全土で見聞した多様な造形が、昇華され、形づくられているのがわかる。偉大なる目と手と頭のひとであった。これら「幻の建築」が、日本じゅうに残っていたら……と思うと、こちらの妄想もふくらんでくる。ちょっと恐ろしいような気もするが。
*今回ご紹介した「伊東忠太展」は1/30まで。
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| ◆怪奇図案集 |
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| ◆色あざやかな葉書絵 |
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| ◆フィールドノートより |
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| ◆築地本願寺 |
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| ◆築地本願寺 正面階段 |
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| ◆明治神宮社殿 |
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| ◆湯島聖堂 |
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| ◆遊就館 |
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