和雑貨 翠 TOP > 和から始まる小さな旅 目次 > Vol.14
江戸指物師はべらんめえ 土師忠男さん
 道順のメモを片手にせまい路地を引き返すと、脇から「どこ探してんの」と声がした。ガラス戸の前で、小柄な男のひとが、こっちを睨んでいる。フサフサした白い髪、痩躯が、ちょっと川端康成をおもわせる。鋭いまなざしのせいか。江戸指物師、土師(はじ)忠男さん。お宅に看板は、ない。

 ガラス戸の向こうは、すぐ板張り10畳ほどの仕事場だ。道路わきに靴をぬぐ格好になる。壁際には大小の板や刃物、出庫を待つ作品の箱。低い革張りの回転椅子をすすめられるが、作業台の前に座る土師さんがいつもの座布団敷きなので、見下ろすのは具合がわるい。「そんな冷たい板場に座んないでよ。コドモ産めなくなっちゃうよ」お電話した折の、オッカナイ職人という印象が、からりとくずれた。

 江戸指物は、徳川時代にはじまる。桑や桐、欅などの木目を生かし、棚や小箪笥、鏡台から煙草盆まで、丹念につくられる。金釘をつかわず、まれに卯木(うつぎ)を削って煎った木釘を用いるが、材と部位、品物の格に適った木組みを凝らすのが特徴だ。華奢に見えて堅牢。簡素をきわめる茶道や、羽織の裏に贅をつくす町人の粋に通じる。'97年、通産省の伝統工芸品に指定されたが、現役で活躍する職人さんは現在15人。ほとんどが台東、荒川区周辺にお住まいだ。

 土師さんの父上の仕事場は、浅草と上野の堺にあった。戦中、空襲の被害を防ぐため、並びの家々とともに取り壊され、いらい根岸に居を構える。お生まれは昭和11年、15歳から修行をはじめ、一人前になったのは22,3の頃。「サラリーマンの2倍は稼いだね。今は逆になっちゃったけど。ま、定年はないけどさ。同級生はもう、年金うんともらいやがってョ。」35歳ころがいちばん忙しく、朝の8時から夜中まで、食事も10分でかきこみ、とにかく働いた。当時はお店(たな)と呼ばれる問屋からの注文がひっきりなしで、8〜1月は手あぶりから長火鉢まで火鉢いろいろ、梅雨まえには傘立て、春から夏は扇風機台と、時季ものの仕事に追われ、個人の客を相手にする暇はなかった。またお店も職人が客と直に交渉するのを嫌い、材木を買う金を貸すなど面倒をみた。当時の職人は、おおいに働き大いに遊んだ。お店でもらった売上金を懐にタクシーで熱海へ飛ばし、遊んで帰れば家の敷居はさすがに高く「近所の料亭でフテ寝してると、女中さんが家に知らせに来るんだよね『ご主人ウチで寝てますよ』ってさ」

 するりと奥へ立ち、戻られた手に缶コーヒー2本。2年前に奥様をなくされてからは一人住まいだ。長年むかいあって仕事をした兄上も、昨年で引退された。かつては6人まで抱えた職人も、戦後は3人に減り、後継者はない。「息子が継ぎたがったんだけど、止めさせて正解だったよ。20歳からじゃ遅いし、3年は食えない。仕事も減ったしな。今はひとり食べるくらいがやっとだ。」もう遊んじゃって、と仰るが、日曜、祭日をのぞき、毎日朝から夕方まで仕事場に座るだけの注文は舞い込む。最近も、近所に住む同級生のひとりから、裁縫箱を頼まれた。「2ヶ月くらいはかかるけどな」

 パトロンたる大名や豪商も消え、お店も力をうしなって、指物の受注状況はおおきく変わった。歌舞伎役者や邦楽、お茶の世界を除き、一般人の目に触れる機会は稀だ。巷には、大量生産される安価な家具や道具があふれている。貴重な材をつかい、年季をかけた技と手間がはじきだす指物の高値は際立つ。いま、指物共同組合は、年に数度の展示会を企画し、職人さんもみずから出向いて説明につとめている。指物の価値を説き、間口を広げるのは切実な課題だ。「商人みてぇ」な応対も必要な昨今だが、「『いらっしゃいませ』とか、ジョウダンじゃないよ。勤めにでたことないんだから。疲れちまってしょうがねえよ。俺ぁ聞かれねぇと黙ってんだ。こんな年でよかったよ。とてもじゃねぇが、やってらんねえ。パソコン?知らないよ。余計なことするのヤなんだよ」
   「夜はいつも呑みに行ってるか、食いに出てるか」でつかまらぬ父を案じるお子さんに請われて、携帯電話はしぶしぶ持った。が、勧誘セールスの多さに腹をたてて一気に消した留守電のなかに、大事な注文が紛れていたこともある。「重たくって嫌なんだよ。ゆうべも友達んとこでマージャンしたら、忘れてきちゃってさ」

 かような接客ぎらいでも、通りからガラス一枚、夏は開けっ放しの仕事場は、振りの客がのぞきこむ。「でも値段きいて残るのは、10人にひとりだな」。往年おなじ通りを行き来した根岸の芸者衆からは、三味線箱や鏡台など、口から口で景気よく頼まれた。当時の馴染みで、いまでも出来たものをひったくるように買っていくひともある。「芸者は話がおもしろくっていいよ。それに、職人のことがよくわかってる」
 三味線箱など、決まったものは間違いがないが、個人の依頼は、高価なだけに、念を入れて希望をきく。困るのは生半可な客の無理な注文だ。問屋をとおしていくら出来ないといっても聞かない。けっきょく狂いが出て修理にと戻されても「そういうのは絶対なおしてやらねぇんだ。後から直すと、けっして同じ色にゃならない。家具のこたぁ、誰よりよく知ってんだっ!」

 ほとんどの仕様は頭にはいっているので、紙に書いた資料はとくにない。代わりに、棚や箱の縦横、仕切りの原寸をエンピツで記した盛付け棒が何本も壁にかけてあり、これを物差し代わりに板に当てれば、忽ち寸法が取れて設計図も兼ねる。箱物の蓋など、大小さまざまな穴や曲線を切り抜いた板も数十枚。隣には鋸(ノコギリ)がずらりと並ぶ。ざっと30丁はあるそうだ。鉋(カンナ)も親指の先ほどのものまでいろいろ。手に合わせて、使いよくするのにも年季がいる。材木の角へ斜めに当てる鉋には、角度によって使い手の癖がつくので、親兄弟でも共用はしない。「もう使わない道具もごっそりあるのに、古道具屋なんかのぞくと、つい買っちまうんだよな」
 土師さんの左中指はちょっと短い。両の親指には縫いあとが残る。直径50センチを超える刃を回して木材を切る仕事は、一歩まちがえば大怪我を招く。「年とったおやじが引いてるのは、危なっかしくて見てられなかった。職人には、労災もないしな」

 仕事場には、ひもを巻いた作りかけの三味線箱が4つ。上部はきれいな曲線を描いている。土師さんには、桐の注文が多いそうだ。桑やタモの華やかな木目も指物の魅力だが、表面を焼いて砥の粉を塗りこむ時代仕上げで浮き立たせた桐の柾目と、編んだ竹などを組み合わせた飾り棚や小箪笥は、端正にして色気あり、思わず目を奪われる。値をきけば確かにひるむが、手の届かぬというほどではない。しっかり組まれた内側の見事な細工、同じように拭いても板の面ごとに色のちがう漆の面白さ、その手間と技術を知れば納得がいく。もっと働いて、買ってやろうと奮いたたせる力がある。

 職人さんの作業時間は千鈞と知りながら、話の面白さについ暇乞いがのびた。座持ちのうまさとお人柄の魅力は、指物師さん共通とお見受けするが、土師さんの辛口べらんめえは格別だ。ようやくあげた重い腰を見送ってひとこと「とにかく子供はサ、はやく産んじまうほうがいいよ」。
   
◆作業台の前に座る土師さん
◆昔リヤカー今クルマ、後方がお仕事場
◆この座蒲団が定位置
◆お顔はコワイが話は抱腹
◆乱棚 桐 桑 黄蘗(キハダ) ¥160,000
◆五引き抽斗 桐 時代仕上げ ¥48,000
◆整理箱 桐 前桑 拭き漆仕上げ ¥280,000
◆設計図がわりの盛付け棒や型
◆手に合わせた豆鉋(カンナ)
◆使いこまれた鉋(カンナ)大小
◆飾り棚 桐 ¥280,000

東京都台東区根岸3-15-7
土師忠男さん
TEL/FAX: 03-3872-6825


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