地下鉄神保町駅の階段をあがると、青々と繁るスズカケノキが、視界いっぱいに現れる。皇居をかこむ千代田区は、街路樹も緑ゆたかで、若葉が芽吹く春先は、とりわけ目にも鮮やかだ。白山通りにはイチョウ、本屋のならぶ靖国通りはカエデの並木。通りをへだてて眺めると、2階建ての店を覆うほどのいきおいだ。5月になると、植え込みを飾るツツジ、オオムラサキの派手な花も、いっせいに咲きそろう。
そして5月は祭りの季節。日枝神社の山王祭とともに江戸城への山車入りを許され、「天下祭」の名をとどろかせた神田祭。祭りを司る神田明神の創建は、730年にさかのぼる。大国主命(おおくにぬしのみこと)に江戸大明神を合祀、さらに関東の民衆に親しまれた平将門の霊も祀られた。将門の首塚がのこる大手町から、湯島にちかい現在の地に移ったのは1616年のこと。神田川をひかえた高台からの絶景できこえ、観月や納涼の地として当時から人気があった。今年は江戸開府400年を記念して、神門から本殿への石畳もすっかり敷き替え、灯籠型の街灯もあらたに準備万端、例年にまして力が入る。
祭りの目玉は神輿がめぐる週末だが、神田明神の御祭神である3基の鳳輦(ほうれん)神輿をはじめ、200基にものぼる氏子町会の神輿すべてに各神社から御霊(みたま)を遷す遷座祭(せんざさい)や薪能など、全日程は6日にわたる。書店街の店先にも注連(しめ)縄が張られ、御禮祭のちょうちんが飾られる。カエデの梢にくくりつけたスピーカーから、一日じゅうお囃子が鳴りひびき、祭り気分を盛りあげる。
今年は10日の神幸祭では、総勢300人の時代行列が、神田明神を起点に神田から大手町、丸の内から日本橋と、一日がかりで30キロを練り歩く。シャンシャンと音も涼しい鳶頭連の木遣を先頭に、鶏をかかげた諌鼓(かんこ)山車、行列をまもる獅子頭(ししがしら)、だいこく様をのせた一の宮鳳輦、えびす様の二の宮神輿、神田ゆかりの平将門公をはこぶ三の宮鳳輦ほか、平安時代の装束が色鮮やかに練り歩くさまは壮観だ。馬にまたがる神職や、笠もゆかしい巫女姿も目をひくが、とりわけ格好いいのが一の宮を先導する宮鍵のご面々。黒半纏も板についた男衆が横にならび、腹からの低い声で歌いながらゆっくりと通りを進む。角刈りがよく似合う。
今年、福島からはるばる祭りに駆けつけた「相馬(そうま)野馬追(のまおい)」という鎧兜の騎馬行列は、相馬氏の始祖である将門が、野馬を敵に見立てて励んだ戦の稽古にちなむ神事。おもえばこの界隈は、明治中ごろ馬車鉄道も走ったあたり、馬にも縁は浅くない。そのほか400年奉祝にちなむ見どころが、曳物(ひきもの)という巨大なはりぼての人形や踊りで魅せる付祭(つけまつり)。江戸時代には、神輿よりも、華やかな江戸型山車や曳物が、庶民の人気をよんだという。明治にはいっても山車はさかんで、もっとも賑わった明治17年には、各町会より七福神や相生の松、日の出に鶴などめでたづくしの40基あまりが各町会から出たそうだ。そして平成の曳物は、近所のよしみか東京藝術大学デザイン科が腕をふるった鵺(ぬえ)や鯱(しゃちほこ)、蘭隆王(らんりょうおう)に金太郎。ニギニギしさが江戸前だ。異形の山車をかつぐのは、地元の中学生諸君。行列末尾のこのあたりでは、太鼓のリズムもすっかり今様で調子よく、踊る姿もたのしげだ。いっぽう、先にゆくお囃子の底抜け屋台も江戸時代の人気芸。若い邦楽家のぜいたくな生演奏が、粋な音色をながして過ぎる。
町から町へ、見物人をたっぷり酔わせた行列が、神田明神に戻るのは、日も暮れきった7時すぎ。闇にかがやく鳳輦神輿を神社におさめ、雅楽をバックに宮司が玉ぐしをささげた後、黒紋付に袴の氏子代表がつづいてひと段落。境内には屋台がびっしり建ちならび、呼び込みと裸電球のまばゆさが、詰めかけた人を誘いこむ。神輿担ぎの大役をおえた子供同士が、ハチマキ姿でたこ焼なんかを買っている姿もいい。
翌日は、いよいよ神輿宮入(みやいり)だ。神社では、90基におよぶ神輿をむかえ、夕方には、神田市場の誇る千貫神輿が宮入りし、祭りも最高潮となる。
神田市場は、慶長のころ、多町、須田町をはじまりに、明暦の大火(1657)の後の市街地整備で江戸市中の青物商があつまった。江戸城ご用達となり、御用札をたてた荷を城の賄所(まかないどころ)へはこぶ威勢のよさは、大名行列そこのけであったとか。最盛期には、青物問屋240戸ほか、乾物屋に荒物屋、荷車問屋などを擁した巨大な市場は、昭和3年にいまの秋葉原駅北へおさまった。さらに大田区へ移転ののちも、このヤッチャ場を仕切った旦那衆が神田祭りにかける志と気風のよさは変わることなく、千貫神輿が復元されたのは、昭和33年のこと。
市場の鎮守、江戸神社の宮神輿である千貫神輿は、台寸4尺3寸、高さは1丈2尺(3.5メートル)、鳳凰をいただく金細工もピカ一だ。
宮入のかたわら、それぞれの町では氏子が神輿を競い合う。神田っ児が2年間まちに待った特別な日だ。書店街でも、猿楽町、錦町など各町会が、自慢の神輿を担ぎ出す。神保町では、50年ぶりに神輿を新調したが、マンション一軒ほどの費用というから大したものだ。
お囃子にあわせて掛け声たかく、車を締めだした靖国通りを揃いの半被が埋めつくす。一日担げば肩がはれあがるという神輿かつぎは、交代しながら巡るそうだが、端で見まもる年配のご夫婦も、どんぶり(腹掛け)をつけた子供を肩車するお父さんも、乳母車の幼児から、犬まで着こんだ半被姿はご愛嬌。
年々町の人口が減りつづけ、夜はしんと静まり返るこの界隈に、こんなに住んでいるのかと驚くような人出だが、聞けば多くは他所へ移った元住民で、なつかしい顔をそろえる里帰りの祭りだという。半被の着こなしも皆すっきりと、草履やシャツはもちろんのこと、髪や小物も和風の洒落ぶりが行届き、下町育ちの粋好みと、祭りにかける意気込みがうかがえる。着馴れた浴衣姿もいいし、男衆の褌姿も、なかなかどうして色気がある。
子供神輿も無事とおりすぎ、掛け声が遠ざかると、日暮れとともに町の熱気もひいてゆく。路地裏の詰め所には、脚を投げ出した担ぎ手がすわりこみ、世話役のおじさんが、差し入れらしき大きな包みをさげてあたふたと駈けてゆく。
神田祭りは住民の思い入れがつよいだけ、他所からは参加の枠がせまいと聞くが、須田町など、女神輿の担ぎ手を募る町もある。そろいの半被で神輿を担ぎ、地元のひととお酒をのむのは楽しかろう。天下祭たる豪奢のかたわら、カエデの梢のスピーカーから、ねぎらいの声が流れる、下町っ子の祭りであった。
*神田神保町1-3 カバン店 レオ マカラズヤ店主 木内武郷さん、江戸御輿同好会 稲葉ひとみさんにご協力いただきました。御礼申しあげます。
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| ◆カエデの繁る書店街 |
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| ◆将門を祀る神田明神 |
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| ◆馬も活躍 時代行列 |
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| ◆鎧姿のうしろは曳物 |
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| ◆若手が担ぐ一の宮鳳輦 |
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| ◆電気街をゆく二の宮神輿 |
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| ◆一の宮を先導する宮鍵 |
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| ◆腹からうたう声がとどろく |
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| ◆女衆も半被でキメる |
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| ◆神社におさまる鳳輦神輿 |
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| ◆紋付でならぶ氏子総代 |
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