「今年は夏が涼しかったから、赤がよく出てないんです」紅葉の名所といわれる観光局に問い合わせると、あちこちでこんな答えが返ってきた。急な休みと色づきぐあい、温泉事情も考えあわせ、結局ことしは「まだ見られます」という甲府の名所、昇仙峡の一本手前、笛吹き童子ゆかりの笛吹川へ行ってみることにした。
東京からは中央線で西へむかって約2時間、高尾からはボックスシートで旅気分。山をのぼっていくにつれて木立がだんだん色づいてくる。左手に連なる山並は、うっすらと煙がかって、富士山の姿はみえない。
大月駅のホームでは、おじさんが弁当を売りにくる。ずっしり重たい釜飯がうまい。ホロホロ鶏弁当は、甲州ワインの小瓶つき。勝沼にひろがるぶどう畑は、すでに葉っぱも枯れている。ほとんどは黄色だが、品種のちがいか時おり赤い葉の畑もみえる。
そしてほどなく塩山到着。バスのロータリーがある駅前は、みやげ物屋があるばかり。ワインやぶどうのお菓子に混じって、樋口一葉のお札煎餅が目にはいる。一葉の両親が住んだここ塩山で、ほんものの5千円札に先がけての発行らしい。きりっとしたなじみの顔が刷ってあり、名産の甘草入りだ。
塩山の北からまっすぐ下りる笛吹川は、富士川とともに駿河湾へ注ぎこむ。上流の西沢渓谷が紅葉で名高いが、あいにく盛りは過ぎているので、下流の景色がお目当てだ。日に10本もないバスでゆっくり昇っても1時間。駅前にそびえる塩ノ山をあおぎつつ、塩山の古い町並をゆっくり抜けると、ほどなく川があらわれる。どんどん坂をのぼってゆくと、ぶどう畑が左右に見える。寒さがきびしいこの辺りでは、りんごや桃など、果樹の畑がほとんどらしい。 農家や民家の軒先に、吊るし柿のだいだい色が鮮やかだ。ふつうの柿よりひとまわり大きい「百目」という品種をひとつずつ手で皮をむき、天日に当てた「ころ柿」は、信玄も奨めたというここ塩山の風物だ。おおきな農家やお寺の境内で、だいだいの壁のようにぎっしりと吊るしたのも見事だが、ちいさな民家やベランダの軒先に2つ3つずつ互い違いにぶらさがったのもほほえましい。八百屋の店先には、甘柿よりもこの大きな渋柿がいまを盛りと並べられ、農家だけでないころ柿づくりがうかがえる。裸になった柿の畑の根元には、剥かれた皮でだいだいの小山があちこちに見え、その手間が思いやられる。
途中には、瓦屋根の立派な農家の集落がある。蔵の切妻に、家紋に混じってオカメなどの顔があるのがおもしろい。民家がだんだん疎らになると、川沿いの紅葉がゆたかになって、右に左に目を移すのがいそがしい。たしかに赤が冴えないがだけに、時折みつけるもみじの葉っぱがはっとするほどきれいに見える。一之橋で温泉の看板をすぎると、バスはいったん笛吹川へと脇から流れこむ徳和川沿いへと左へ折れ、乾徳山への登り口まで行って引き返す。この辺りは「乗り降り自由区間」だそうで、声をかければ好きなところで乗ったり降りたりできるのだ。
上流の三富村はすっかり山に囲まれて、ながめのよい渓流沿いに、立派な温泉旅館がぽつりぽつりと建っている。さらに昇って笛吹温泉郷のどんづまりが今日のお宿だ。専用の吊橋はあいにく整備中なので、赤い鉄筋の橋を渡ってゆく。200年前から材木屋を営んでいたというだけあって、入り口の黒光りする太い梁が見事。
宿から川沿いに下っていくと、一の釜という滝がある。この付近には、釜の名のつく名爆がところどころにあるそうだ。高く切り立つ岩肌を二方向から滝が白く流れ落ち、神々しいほどの風景は、「往古より釜の郷の地名となった景勝地」にふさわしい。ちかくに建つ碑によれば、かつて片目の龍が棲み、材木が流れなくなったため、祭りで鎮め、不動尊が祀られたとか。細い板敷の吊橋をわたり、おおきな濡れ落ち葉に気をつけながら下へ降りると、巨石のならぶ滝の落ち口は、きれいに水が澄んでいる。太いほうの滝では岩肌が数メートルもYの字型に削られて、水の力と歳月が想われる。道路から釜へ降りる中ほどには、ちょうど滝に向かい合って東屋が建ち、新緑の季節などは、さぞ気持ちのよいことだろう。水音に混じって、キャンキャンという鳴き声がきこえてくるのは、ちかくの山中に猪豚の飼育小屋があるせいだ。たしかに猪とも豚ともつかぬ、せつないような声である。
晩のおかずに出たこの猪豚鍋や、やはり名物の馬刺しもおいしかったが、なによりいいのは一晩中きこえる轟轟という水音だった。ひとによっては眠れないと苦情があるというほどよく響く。青いタイル張りのお風呂場も、三方の窓から渓流がみえるのがぜいたくだ。
翌朝バス停で村の温泉に毎日かようおばあさんと一緒になった。役所だった立ち寄り湯は、登山者にも人気だそうだ。山ぶかいこの辺りでは、鹿や猿はもちろん、先日などは「じいさんが換気扇つけねえでサンマ焼いてたら、猪が入ってきたよ。今年の山は、漆なんかの赤が出なかったねえ」。
塩山には、りっぱな禅宗の山門と椿がきれいな放光寺や、夢窓疎石の庭がみごとな恵林寺など、信玄ゆかりのお寺がおおく、鎧や書状など宝物も見ごたえがある。一葉の碑がある慈雲寺は、桜の季節はたいへんに賑わうという。名将の遺品を守る数々の寺社のみならず、駅ちかくの薬草園、茅葺切妻の甘草屋敷など、りっぱな史跡もすぐれた治世を今に伝える。
都心にもどって電車の窓をながめていると、アパートのベランダに先の尖ったおおきな柿が2,3こずつ吊るしてあるのが見えた。奥さんはきっと塩山のひとにちがいない。
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| ◆笛吹川沿いにひろがるぶどう畑 |
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| ◆一葉煎餅と銘菓 信玄桃 |
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| ◆ころ柿で埋まる農家の軒先 |
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| ◆ころ柿風景 民家版 |
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| ◆白い花にみえる桃の紙袋 春までには風で散る |
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| ◆家紋のみえる農家の土蔵 |
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| ◆渓谷沿いに建つ温泉宿 |
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| ◆一の釜へ注ぐ細い滝 |
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| ◆椿がきれいな放林寺の鐘 |
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| ◆鳥のさえずる恵林寺の庭 池は「心」のかたち |
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