日差があたたかくなると、なんだか海が見たくなる。2月にみなとみらい線が開通
し、横浜が便利になった。渋谷から中華街まで35分。ドイツの建築家による船底みたいな大桟橋や、ライブハウスやレストランに活用された赤レンガ倉庫など、名所もふえて大勢のひとが訪れている。
新設された6つの駅は、それぞれの設計者による海や船をモティーフにしたデザインがたのしめる。終点の元町・中華街駅は、まっ白な陶板に焼き付けられた開港時のモノクロ写
真が、買い物や見物へと逸るきもちをハマの歴史へしばしいざなう。
ひなびた漁村、横浜村に港をひらいて145年。かまぼこ型のホームでは、巨大な船の写
真に迎えられ、エスカレーターで改札へ昇るあいだも洋館、商家、物売りの風俗などが現れる。
駅を降りて谷戸坂をのぼりきると、港のみえる丘公園。屋根つきの展望台から、高層ホテル、ショッピングモールのそびえる埋立地みなとみらいやベイブリッジが見晴らせる。埠頭には倉庫がひしめき、昼間はトラックが行き来するので、夜景ではみえぬ
活気が伝わる。
大仏次郎記念館のまえには噴水のある庭があり、隣のイギリス館やバラ園のある山手111番館をのぞくのもいい。山手には、無料公開している外国人の住まいが7つ、大正末期から昭和はじめの西洋館が、優雅な暮らしをしのばせる。今なお使われている家も多いので、山手通
本通りや裏道で、個性的な洋館さがしも一興だ。
公園から山手本通りを行くと、左手すぐが外国人墓地。港を見おろす高台2万平米のほそながい敷地には、開港後に活躍した学者や教官、鉄道技師モレルや宣教師、ビールの父コープランドまで、日本の近代化に貢献した40数カ国、4200におよぶ外国人が祀られている。十字架や棺、杯をかかげたのや石碑など、日本の墓地とはひとあじ違った風格あるバリエーションが、木立のなかに並んでいる。ちいさな白い木蓮や、赤とピンクの椿が咲いていた。
墓地の隣、プールのある元町公園は、切り立った谷間のような、樹木の茂る散歩道。山手にはbluffと呼ばれるこうした地形がひしめいて、坂を上り下りしていると、港や思いがけない景色が急にあらわれる。日本の近代化を導く大切な客人の住まいとして選ばれたのも、見晴らしのよさゆえだろう。
横浜には「発祥の地」がおおい。通りをはさんで向かいには、日本初の劇場ゲーテ座の跡地に建った岩崎博物館、老舗のレストラン山手十番館と、瀟洒な洋館が軒をつらねる。となりの緑あふれるテラスは、やはり本邦初のビール工場とともに明治18年設立された由緒ただしきビアガーデンだ。つづいて幕末明治の風俗を展示した山手資料館、えの木ていカフェ、大谷石の堂々とした山手聖公会。さらにすすむと山手234番館、むかいにはエリスマン邸、ベーリック・ホールと見ごたえのある住居がならぶ。フェリス女学院をすぎると緑の尖塔がそびえる山手カトリック教会。身なりのよい若い母親が、子どもの手をひいて出てくる。桜も咲かぬ
のに半袖で闊歩するのは金髪の女学生。
山手本通りは、バスに乗って左右の景色をながめるだけでも楽しめる。教会からバス停4つ、山元町から左にはいると、根岸森林公園がある。蚕豆のかたちにひろがる丘あり谷あり池もある敷地を囲む1.9キロの遊歩道は、わが国初の競馬場のコースであった。蚕豆を北西から見下ろす高台の芝生広場には、黒ずんだコンクリートとうす桃色の外壁に丸窓が古風な旧一等馬券所の3つの棟が高くそびえ、どこから見ても様になる。公園と芝生広場の間にめりこむ米軍の技術工作施設や西にひろがる米軍住宅は存続が問われているが、昭和44年にアメリカ軍から返還された森林公園は、その名のとおり樹木や花壇がきれいに整い、ひろびろとした梅林や桜山は、花見にも格好だ。かつての本馬場をいまは市民や運動部の学生が走り、いろんな犬が連れられてくる。芝生広場からは港までぐるりと眺望がひらけ、市民の憩いの庭である。
公園内の馬博物館に入ってみると、日本競馬の歴史は意外にふるく、701年の神事にはじまり室町時代にはチョンマゲ騎手も競ったという。洋式競馬も1859年の開港直後、61年には早くも居留イギリス人の要請により、いまの桜木町まえ埋立地での開催を皮切りに点々と場所をかえ、相次ぐ外国人殺傷事件をふせぐため、外国人遊歩道内の根岸村に落ち着いたのが1867年。昭和17年まで日本ダービー賞などで賑わった。宮家や政府要人も名をつらね、英米との不平等条約改正にも一役買った歴史の舞台だ。
博物館ではちょうど「横浜ウマ物語ー文明開化の蹄音」なる特別
展がはじまって(16年5月23日まで)、開港時の異国風俗を多色で刷ったさまざまな横浜絵から、外国文化が押し寄せた活気あふれる町のようすがうかがえる。1872年の「横浜名所之内 大日本横浜根岸万国人競馬興行ノ図」では、富士や港を背景に、各国の旗を飾った櫓式のスタンドや茶店がならび、和装、洋装に着飾った客にまじって尻はしょりの庶民も描かれている。
レース記録や賞杯ほか、めずらしい曲馬(サーカス)の浮世絵や、横浜では1869年にはじまる馬車文化、各地にのこる馬頭観音像や、厩舎を兼ねた曲がり家の復元など、馬にまつわる幅広い資料がそろう。鷹蒔絵の和鞍と革の洋鞍、鐙(あぶみ)とハミ、藁で編んだまんまるの馬わらじと蹄鉄など、馬具にみえる和洋の対比もおもしろい。標本をつかった様々な馬の生態、鞍乗りや「馬力」測量
器、馬の視野を体感できるコーナーは、子どももいっしょに楽しめる。
公園からすこし北には中国のひとだけの南京墓地があり、広東からの地蔵菩薩を納めたレンガづくりの地蔵王廟と、三層の青い屋根の安骨堂が目印だ。また山手の駅前にもひっそりと外国人墓地があり、船員など1200人の外国人に加え、関東大震災や第2次大戦で亡くなった身元不明者も祀られている。ゆっくり歩けばそこここに、異国のひとの面
影のこる開港のまち横浜である。
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| ◆伊藤豊雄設計の元町・中華街駅 |
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| ◆みなとみらいを見下ろす外国人墓地 |
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| ◆山手111番館「えの木てい」の出店カフェ |
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| ◆山手聖公会 関東大震災の再建まえはコンドルの設計だった |
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| ◆スパニッシュスタイルのベーリック・ホールには獅子の壁泉
も |
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| ◆カトリック山手教会 前身の横浜天主堂は「トンガリ耶蘇」と日本人にも親しまれた |
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| ◆旧一等馬券所 丸ビルで知られるモーガンにより、関東震災後に再建された |
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| ◆芝生広場にあがる階段もうつくしい |
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| ◆馬の博物館には勝馬の凛々しい銅像 |
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| ◆異彩を放つ南京墓地の地蔵門 |
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