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織物のまち 足利
 昔のきものが人気だという。昭和初期まで大衆向けに出回った銘仙は、紬よりは柔らかいシャリっとした風合いと、大胆な絵柄や色が今ではとりわけ新鮮だ。伊勢崎、桐生、八王子などの産地と競い、昭和14年には日本一の生産量 を誇った足利には、織物で栄えたまちの面影がうかがえる。

 東武伊勢崎線足利市駅を降りて北に向かうと、ゆったり流れる渡良瀬川があらわれる。釣り人の姿がみえる静かな川辺には、かつて紺屋が建ちならび、広々とした川原は水洗いや絞(しぼ)づくりで賑わった。

 足利織物の歴史は奈良時代にはじまるが、産地として知られるのは江戸時代の後期から。明治時代にいちはやく始められた工場生産制により、東北から多くの女工を集めるほどの隆盛期を迎えている。当時は輸出向けが中心で、羽二重など絹ものは欧米、インド、縮のような木綿織物は香港、上海、シンガポールと世界各地に広まった。国内向けには縮緬、お召はもちろん経(たて)緯(ぬ き)異色の糸で玉虫色に織りあげる「海気(かいき)」、表裏べつの糸で袋状に織る「通 風(つうふう)」、タフタに似た畝のある「琥珀」などで全国に名を馳せた。

 明治のころの活況を今に伝える工場が、かろうじて遺されている。足利有数の元機(もとはた)であった白壁に瓦屋根の木村輸出織物工場は、文化財に指定され、貸しホールとして毎日のように使われているという。また工場となりの木村家住宅は、柱や廊下の材がみごとで一見の価値がある。葦障子で囲まれた茶室がいかにも涼やかだ。
 足利市駅を西へむかうと、1903年に建てられた足利模範工場遺構がスポーツクラブになっている。大谷石の壁にフランス窓、木骨瓦で織物工場特有のノコギリ屋根という和洋折衷がおもしろい。

 日本最古の学び舎である足利学校で名高い当地は、元機の子弟教育にも力を注いだ。明治中期の織物技術第一人者、近藤徳太郎を京から招いて創立された足利工業高校の貴重な資料は、「足利まちなか遊学館」に展示されている。巨大な八丁撚糸機の見るだに頭のよじれるような複雑な構造は、糸撚りや染め、織りなどいくつもの工程に細かく分かれた織物産業における専門技術の高さを示す。こうした土壌から、日本の意匠登録第一号である雲井織などあたらしい織りも生まれた。

 ショーケースで目を引くのは、八千草薫がにっこり微笑む銘仙のポスターと、その現物の着物。白地に赤黒はっきりした色と柄が若々しい。足利銘仙の特徴は、経糸に、緯糸を粗く仮織りし、捺染ののち水洗乾燥して緯糸をしこしずつ解(ほぐ)しながら織る解し織りという技法。やわらかく複雑な絣もようが織りあがる。大正期には、緯糸に絣糸をもちいた半併用という立体感のある織りもうまれて足利銘仙の名を高め、昭和14年には生産高全国一のピークを迎えるが、戦後は後追いの店が交織など品質を下げ、着尺用からどてら、半纏へと降格し、昭和40年以降には業界全体が下火になった。その背景には、暮らしのなかの着物離れだけでなく、業界を支えていた民謡の人気が衰えたことも大きい。団体で衣装をあつらえる全国の民謡教室では、流行の演歌が好みを左右し、梅沢登美男ブームではお引きずり風といった具合にまとまって売れたとか。数は減ったが、いまでも市内の織り元のおおくは踊りの衣装を手がけているし、時代劇に使われるのも、足利産が主だという。

 銘仙についてさらに知るには、西にすすんで足利織物会館2階、伝承館に行くとよい。展示館としての体制は完全とはいえないが、足利織物協同組合による運営なので、資料が最も充実しており、予約をすれば親切に対応してくれる。
 足利銘仙が全国を制覇したおおきな理由は、デザインと宣伝力にあるそうだ。図案や染めの職人を京から呼び寄せる一方、一流画家や大女優を起用したポスターを刷り、三越や高島屋と提携して陳列会を催すかたわら、地方にもダイレクトメールを送る。大きなポスターや使われた着物、撮影風景の写 真なども遺されている。 

   隆盛期の工場や買い場(買い付け場)の映像も興味ぶかい。大八車が行き交い、反物を次々にさばく小僧さんや、忙しそうに商談する羽織姿の旦那衆など、いかにも景気がよさそうだ。糸染めや取引の場は男ばかりだが、工場ではきものに前掛け姿の女工さんが機に向かう。立派なギルド式洋館であった当会館も確認できる。一時はかくも銘仙を送り出した足利で、着物をまとめて見られる施設が一般 向けに整えられていないのは、いかにも惜しい気がするが、聞けば「古いものにとらわれず、進取の気性に富むのが足利気質」とのこと、伝統の解し織りは、一軒の元機でのみ復元、開発されている。いっぽう鏑木清方など一流画家の描いた足利銘仙ポスターの多くは、市立美術館の所蔵となり、いま原画が公開中(〜8/21)。反物の原寸図案も30点ほど見られるが、思いきり大きな菊や当時は珍しかったであろう洋花、様々な葉などの意匠が太い縞や大ぶりな唐草などと組み合わされ、紫や黄、ワインレッド等はっきりした色をつかったポップなデザインが新鮮だ。

   伝承館には資料や機、銘仙など足利産の着物や裂が残されている。初期のころと思われる絹地は驚くほど軽く、ちかくで見ると経緯糸の色の境が幾何学的にぼかされて、先染めならではの硬さが派手な図柄もすっきり見せる。適度な張りのある生地はいかにも着易げで、しかも値段が手ごろとくれば、浴衣を選ぶような感覚で大胆な柄を楽しめたにちがいない。

 事務所の奥は銭湯をそのまま使った染色工房があり、有志の方が、絞りなど様々な技法をつかった草木染めに取り組んでおられる。窓からみえる織姫山は組合等の管理なので、梅や茶など、染色につかう樹木が植えられているそうだ。

 この山から市内を見晴らす織姫神社は、銘仙全盛期の織物組合により再建された。浅草からのびる東武伊勢崎線もまた、絹をはこぶシルクロードとして敷設された歴史をもつ。市内には、足利学校はじめ足利氏の氏寺である鑁阿(ばんな)寺など史跡もおおく、店先に朝顔や日々草をつつましく植えた昔ながらの小料理屋や美容院も、それぞれに凝った店構えでおもしろい。石畳の町並や、トリコット会館など、繊維のまちらしい建物もある。さいきんは、伊万里焼の栗田美術館やフラワーパークでも人気を呼ぶ足利市。銘仙から半世紀をこえる歳月を感じさせる。


足利市立美術館では「50人のクリエーターによる『心を包む』展」も開催中(7/19)。「教育と文化」という足利学校の理念にもとづき、イラストレーターや建築家などの描いたインクジェットによる風呂敷の原画と、柄を生かした奇抜な包み方が楽しめる。
◆箪笥のなかに眠っていた昭和初期の足利銘仙
◆ポスターに使われた着物。5円玉みたいな柄も色遣いもおもしろい。
◆木村輸出織物工場。事務所であった若草いろの洋館は、足利織物記念館として主に輸出用絹の資料が展示されている。
◆足利模範工場遺構のスポーツクラブ。内部は重厚な木と石のフロアに黒いマシンの並ぶジム、船底型の木組みの天井と青いプールが不思議にぴたりと調和している
◆明治10年ころの八丁撚糸機は絞のある反物用。長さ約5メートル、糸車を入れると高さは3メートルほどもある
◆有馬稲子の銘仙ポスター。すべて織物会館で撮影された。
◆足利織物を着たマネキン
◆解し織りの反物
◆もと銭湯の染色工房。青タイルの浴槽には藍甕、丸鏡の洗い場に煮出した葉や桶が並ぶ
◆石段をのぼるセメント造りの織姫神社からは足利市が一望できる
◆鑁阿寺の多宝塔と樹齢550年の銀杏

アクセス JR両毛線足利駅。または、東武東武伊勢崎線足利市駅
足利まちなか遊学館 足利市通1丁目2673 TEL:0284-41-8201
足利織物伝承館 足利市通3丁目2589 TEL:0284-21-2047(足利繊維協同組合) 
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/
足利市公式ウェブサイト


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