「こぎん刺し」とは青森県津軽地方で300年以上前から伝わる伝統工芸品です。
藍染めの麻布に、白い木綿糸で手刺しを施したもので、タテ糸を一・三・五・七と奇数にひろって織り目に刺す「奇数刺し」による幾何文様がその特徴です。
江戸時代、津軽の農民たちは木綿を衣類として着用することが禁じられていました。岩木山・岩木川を中心とする津軽地方の冬は厳しく、目の粗い麻の衣だけではどんなにか寒かったことでしょう。
農村の女性たちは保温と補強のために、糸で麻地の織り目を地刺しで塞ぎました(これが「刺しこぎん」と言われました。こぎんとは、津軽地方では農民の紺の麻衣を指したそうです)。
「こぎん刺し」は、元々、北国で冬を乗り越えるために生み出されたアイデアだったのです。
農村の娘であれば誰でも、五、六歳の頃からこの刺繍を習い、「こぎん刺し」の担い手となりました。長い冬は細やかな図柄を刺しつづる時間を与え、それが娘たちの楽しみや自分を表現する手段にもなっていきました。
実用的な目的で生まれたこぎんに、細やかな文様の美しさが備わっていったのにも、津軽の風土が大きく影響しているのです。
こぎんの基礎模様(モドコ)には「猫のマナグ(目)」「テコナ(蝶々)」「クルビカラ(くるみの殻)」など身近で親しみやすい名前がついています。こんなところにも、口承で伝わり、暮らしに密着した工芸であることがうかがえます。
白くすっきりとした建物は、建築家・前川國男による設計。戦前の建物とは思えないモダンな佇まいです。
中では数人の女性がこぎん刺しをしていました。一年前から始めた新人さんもベテランの方もいらっしゃいました。
弘前こぎん研究所。設計は前川國男。全景を撮っていなかったのが悔やまれます | くるみボタン用のこぎんを製作されていました。こぎん刺しには長い針が使われます | 弘前こぎん研究所では、統一した製作基準があり、それに沿って刺していくそうです |
弘前こぎん研究所は昭和17年、青森ホームスパンとして誕生。民芸運動の中で柳宗悦らの進めもあり「こぎん」の基礎的研究が行われ、昭和35年、弘前こぎん研究所と社名を改め、「こぎん」の普及活動を行ってきました。
所長の成田貞治さんにもお話をうかがうことができました。「昔の人は見よう見まねでこういう作品を作っていた。頭が良くなきゃできないですね」と古い津軽こぎんの文様を復元したサンプルを見せていただきました。その模様の緻密さ、芸術性の高さには目を瞠るものがありました。これほど複雑なものをかつては設計図もなく刺していたというのには驚かされると同時に、「こぎん刺し」を担ってきた、名前も残っていない津軽の女性たちに尊敬の念を抱かざるにはいられませんでした。(こぎんのモドコは20数個あり、それを組み合わせていけば、無限に模様を作ることができるそうです)
弘前こぎん研究所では、模様を確実に刺すために、方眼のグラフ用紙の上に線を入れた設計図を使い、厳格な統一基準を仕事に課しています。今日では、用途によって木綿やウールも用い、色彩も時代を経て多彩さを増していますが、技の基本は伝統を尊重する姿勢を守り続けています。約90人の女性の手による手仕事の品々は、私にとってはまさに宝の山に思えました。当店でご紹介するのはそのごく一部です。
こぎん刺しの幾何学文様には一針一針丹念に刺し続ける津軽の女性たちの繊細さと力強さが宿っています。こぎん刺しの品を手に取るときには、その作り手や津軽の風土にも思いを馳せてみてください。
*こぎん刺しのモドコ(基礎模様)はこちら
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